2017年04月12日
社会・生活
リコージャパン株式会社 販売事業本部 公共事業部 官庁第二営業部 第一担当室
河内 康高
リコー経済社会研究所はリコーグループの中堅・若手社員を対象に、「ライティング講座」を開催しています。その受講生が書いたコラムのうち、優秀な作品を随時掲載します。(主席研究員 中野哲也)
「パイロット」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。大抵は民間旅客機や戦闘機の操縦士だと思う。日本では民間の自社養成パイロットへの応募倍率が100倍超えるという、不滅の人気職種である。学生の間では、「カッコイイ」「高給取り」「国際的」といったイメージが定着しているのだろう。平凡なサラリーマンからすると、うらやましい限りだ。
実は、私の義父も神戸市垂水区在住の「パイロット」である。そこは江戸時代からの港町であり、世界最長の吊り橋・明石海峡大橋に臨む。大阪湾内最大級の漁港もあり、「天下の台所」を長年にわたり支えてきた。
「わしは長年パイロットをやっとってな」―。初めて義父から聴いたこの一言は衝撃的だった。頭の中で即座に浮かんだのは、ANAやJALのロゴマークである。ところが、彼は大きく首を振った。「ちゃうちゃう、パイロットってのは『水先人』なんやで。ずっと昔からパイロットと言えば海の人のこと。空のパイロットなんて最近ぽっと出の言葉やねんて」―。その言葉はもっと大きな衝撃をもたらした。
「水先人」は「水先案内人」とも呼ばれ、海上交通には不可欠の存在である。果てしない海原で船はどこを通ってもよいように思うが、実はあちこちにリスクが潜んでいる。暗礁や浅瀬、漁網、時には沈没船も...。加えて日本近海では、小さな漁船から豪華客船、巨大タンカーに至るまで大小様々の船舶がひっきりなしに通行する。特に港の周辺では、ラッシュと言えるほどの混雑ぶりだ。
このため、船舶が安全に航行できるよう、様々なルールがある。例えば、灯台や浮標(ブイ)は道路でいえば標識であり、海上の位置を把握するための大事な目安となる。また、船の通る道(航路)は正確に決められており、それに沿って航行しなくてはならない。
しかし、どんなに優秀な船長でも、すべての水域の事情を把握するのは不可能だ。そこで、実際に船に乗り込み、船長に代わって船舶を安全かつ迅速に導くのが、水先人(パイロット)なのである。
その資格は、案内する船の大きさにより、1~3級に分かれる。1級になると、30万トンクラスの大型タンカーを扱うことも。VLCCタンカー「IDEMITSU MARU」なら長さ333m、幅60mもあるから、まるで「東京タワー」を横倒しにして操縦するようなものだ。
こうした大型船は小型船のようには取り回しできない上に、少々の浅瀬でも座礁してしまう。しかし、水先人が危険を察知し、ブレーキを掛けてから停止するまでに15分以上を要する。距離にすると3~4kmも進んでしまうのだ。
浅瀬を避けようとしても、旋回する円の直径は1kmにも達する。だから、おいそれと迂回できるものではない。さらに天候や潮の流れ、風の強さ、積載物の重さなども考慮する変数になる。一流水先人は知識と経験を詰め込んだ自分の頭だけを信じ、常に数km先を予測しながら案内にあたる。まさに、神業だ。
そんな神クラスの水先人が今、難題に直面している。後継者不足である。国土交通省の調査によると、全国の水先人の平均年齢は62.3歳。港によっては68歳を超えるという。ちなみに義父は74歳だから、普通のサラリーマンだったら、とっくに定年を迎えて悠々と余生を過ごしていたはず。だが、いまだ現役で月20隻程の案内をしている。
後継者不足に対応するため、2007年に制度変更が行われ、水先人の資格要件から船長経験が外された。その結果、今では一定のカリキュラムを修了すれば、船長経験無しでも最短20代前半で水先人になれる。ところが、新制度の下で若手水先人が各地に配属されると、新たな難題が浮上したのである。
「わしが乗り込むと、船長がほっとするのが分かるんや」―。義父がこう言うように、 若手の水先人は座学で理論を習っていても、圧倒的に経験が足りないのだ。船乗りの勘や咄嗟の判断力は、一朝一夕で身に付くものではない。一瞬の判断ミスが大事故を招く海上では、その「差」が命取りになってしまう。
74歳にして毎日忙しく働いている義父。これまで案内してきた船は3000隻を超える。そのすべての船の特徴を一つひとつメモし、大事に保管している。膨大な暗黙知を持つベテラン水先人に、頭でっかちと操舵シミュレーターで対抗できるはずもない。
ところで、熟練の職人芸が要求される1級水先人の報酬は、1隻当たり10万~30万円になるという。普通のサラリーマンの月給程度を、1隻の案内で稼いでしまうわけだ。カッコよく、おまけに高級取りのTHEパイロット。義父にはこれからもずっと元気で海の安全を守り続けてほしい。
タンカーに乗り込む義父
大型船の近くまで運ぶボート「パイロットボード」
パイロットが案内する大型船タンカー
(提供)筆者
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河内 康高